グローバル資本主義は悪いことなのか?

『資本主義はなぜ自壊したのか』(中谷巌

読んで思ったことを書いてみた。

結論から言うと、僕は中谷氏の提案に対しては、もろ手を挙げて、賛成とはいえない。

中谷氏は、この書の中で、グローバル資本主義がもたらした3つの功罪、すなわち、世界経済の不安定化、二極化、地球環境の悪化、について挙げている。

ここに関しては、事実そうだろう。

資本主義は誰もがわかっているようにそれぞれが争い、極端な表現をすれば、殺しあう、そのような社会システムである。みんなで仲良く平等にやろうという社会主義のようなシステムと比較すれば、経済は不安定になることは明確にわかる。
さらにそれをグローバルで展開する、というのであれば、その市場に、いままで眠っていた地域や国までを狩りだすのだ。そのような地域には、人的・産物問わず資源のある国も数多くある。そのような地域も対象に、先進国が目をつけ、経済競争に巻き込もうというのだから、世界経済が不安定になるというのは当然であろう。

弱者と強者が明確化する。国レベルでなくとも、個人レベルでも、だ。それゆえ二極化が生まれるのだ。だから2つめの二極化・格差社会が生まれた原因がもとをたどれば、グローバル資本主義にある、というのも間違っていないと思っている。

さらにこのようなグローバルで、戦い、さらに排出権取引までする、というようになれば、環境が悪化するのは当然である。そこまでは氏の話には納得できる。



氏の日本再生提案についての話である。

二極化においては、貧困率ジニ係数などの数字をあげ、切々と事実を説く。その数字を見る限り、確かに格差は拡大しているようだ。
提案としては基礎年金を税金化し、老後に優しい社会づくりと、消費税の増税、かつ消費税の持つ、逆進性を持つ課題を解決するために、固定額のキャッシュバックという仕組みである。正直、アイデアベースで思いついたので言ってみます、という程度にしか感じられなかった。
いまでも格差は大きい。二百万以下の年収の人が日本に1000万人以上いる。決して見過ごせる事態ではない。しかし、だ。これは今だったら、まだいいだろう。

近い未来、世界はどんどんとソフトウェア化していく。
ソフトウェア化とは、つまり、人がいなくとも成り立っていく仕事がどんどんと増えていく、ということである。一般的によく言われる話、たとえば、教育の分野の例をあげてみると、これはほとんど人がいらなくなるだろう。それは衛星放送システムの強化である。今でもその兆候はあるが、通信技術が発展すれば、目の前で講師が直接しゃべる必要がなくなるのである。
どこにでもいる面白くない授業をダラダラとする講師よりも、とても有意義な時間を与えてくれるカリスマ講師の授業をテレビの向こう側ではあるが、90分間聞いた方が、授業を受ける側としてもきっといいだろう。社会全体の発展という意味でも、きっと、いいはずだ。
こんな社会が訪れた時に、リアルでの価値を発揮できない講師であれば、その存在価値はなくなっていく。

ここでは教育の例を挙げたが、単純作業、機械で代替しえない価値を発揮できる人以外の仕事は確実に奪われる事態がやってくるだろう。
そのような視野で見たときに、ただ単に仕事できない人を救うための制度を考えました、という中谷氏の提案では、なんら解決策にならない。
これまで以上の極端な格差社会が生まれていく中で、より強者のインセンティブを奪っていくだけの施策でしかなくなってしまうのだ。

さらに中谷氏は、成長性や競争力の観点から、ここにきて日本が圧倒的に落ちてきているいうな論調だが、僕はこれは違うと思う。

「失われた15年」と言われるように、実はバブル崩壊をしてから、というもの日本の成長は大きく止まったと思っている。
ただ、1980年代までにおける、圧倒的に高い経済成長の結果、GDPで世界第二位という数字が示すように、世界においてもトップクラスの国となった。ただスタートした位置が高かっただけで、バブル崩壊以降の約20年は他国と比べて、成長曲線は鈍って手なりによる成長しかできていなかったのである。いまは日本以外の諸国が圧倒的に伸びてきているため、成長をせずに20年前と同じ位置に立ち止まっている日本はただどんどん抜かれているのを待つだけである。
GDPもいよいよ、中国が2位、インドが3位と台頭により、日本は4位にまで落ちていった。中国やインドは、日本が1960年〜1990年の間に経験した、高度成長期が来ているだけであり、いつかは成長は終わるのは間違いない。そう、日本のように。
ただ日本と大きく違うのは、中国やインドは、日本と比べ、圧倒的な人の数、そして国土の広さ、さらに言語の強み(英語という世界共通言語がこの二国のエリート層で使いこなせないものはいない)、などの条件から、日本よりも高いところまで成長するのは当然なのである。なにもかも揃っている、中国やインドが日本と同じような成長をしたならば、資源が少ない日本は負けるのは当然である。

つまり、このまま悠長に内部での小さな改革をしていては、勝ち目はない。大きなメスを入れなければならない、と思っている。
そのメスのキーワードこそ『圧倒的なイノベーション』ではなかろうか、と思っているのだが、その話はまたとしよう。

環境国家、というのは面白いアイデアだと思ったが、後で述べるように決して環境にこだわる必要はないと思っているし、いまの日本が環境といってもどこの国もまったく興味を持たないであろう。(放射能に対して、まともに対策すら打てない国である。最悪の環境状況にあるのに、CO2がと言っている場合ではない。)